人は経験で成長するのか?
『人は経験しないと成長しないからね~』
と僕のまわりの人は言う
世間でもそういう風に言うことが多いんじゃないかと思う
確かに経験というのは大事だ
でも、それ以上に大事なのは自分で考えて行動してみるということだと思う
もちろん仮説を立てて行動してみて成功したらやっぱりねって思うだろうし、失敗したら何で失敗したんだろうと思うだろうし、また考えて行動すればいい
ただ経験するだけだと次のステージにいけないし、同じ失敗を繰り返してしまう
何回も言うけど経験は大事である
だけどきちんと『何で成功したんだろう、なんで失敗したんだろう』と考える癖をつけないと経験は無駄になってしまう
そんなことはわかってるって言うけど、ちゃんと成功や失敗の理由を言葉で説明ができなければ考えれていない
そこまで出来て初めて経験を積んだと胸を張って言えるんじゃないかな
勉強も大事だし経験も大事だってみんな言うけど、本質がわかってないとどんどん取り残されていく
学校でも会社でもね
だからフィードバックしてるのを怒られたとか嫌みを言われたなんて言わずに『こういう意見もあるんだ』という気持ちで聞いて欲しい
少なくとも僕はそうしてる
まぁわかってても失敗することは人間あるから言われてムッとなるのもわかるんだけどね(笑)
仕事や勉強を教える側の人もなぜそれをやった方がいいのか、やらなきゃいけないのかを話してあげると教えられる側の人も素直に聞けるし、覚えも格段に良くなるので、身体で覚えさすんじゃなくて言葉でしっかり理解してもらうっていうのが自分にとっても相手にとってもいい経験になるのかなと思う
つづく。
友達じゃないんだから
梅雨だと言うのに愛知は晴れが続いてます
朝から1人でモーニング楽しんでるゆーやです。
Twitterとか見てると仕事の愚痴を言ってる人や不満を漏らしてる人が多いと思うんだけど、僕もTwitterとかで発信しないだけでやっぱり不満はある
新卒で入社して15年程なんだけど、まぁ人並みに仕事もして最近は仕事で怒られなくなった(当たり前か)
僕の会社は入社時は完全に体育会系で、時代が流れた今もその色は強く残ってる
コンプライアンスがどーのとかハラスメントがどーのって最近よく聞くけど、僕の入った当初は殴ることもあったし、泣くまで責められたり、休みの日に強制でどこか連れていかれたり酷かったわけなんだけど、そんなことしてた人たちが
『最近の若いやつはモラルがねーわ』
って言っているのを見ると
『自分のこと棚にあげて何言ってんだよ…』
と思ってしまう。
その時代でも良いこともたくさんあったし、今は今でいい部分も沢山あるからなんとも言えないんだけど
昨日のことなんだけど、仕事で水道ホースを使って社用車を洗った
水を止めたの確認してその場を離れ少したった時、先輩が僕に膝げりをした
『水道使ったのお前?』
まず何で蹴られなあかんのと思いつつ、使用したのは僕なので返事をしたら
『水が止まってねーわ。使ったらとめろや』
いや、止めたし確認したし何なら水切りで地面の水溜まりも掃除したし、てか何でいちいち蹴られなあかんの?と思ったけど止めましたよって言ったら
『お前言うこときかんやつだな』
だって(笑)
もめてるの見た後輩がよってきて
後輩『使ったの僕です』
先輩『気を付けろよ』
は?なんで?
だったら僕のこともそういう対応でよくない?
と思ってたら苦笑いしながらまた蹴られた
意味わからん(笑)(笑)
いや、少しわかるんだけど先輩は謝るのを忘れてたわけでもないし僕に腹立ててたわけでもない
多分中学生とかのノリで絡みたかったんだろう
後輩もそのあと僕に謝らずに、漏れた水の片付けをせずに自分のことをやり出した
勿論片付けたのは僕だ
先輩も後輩もそうだが、時代とか世代とか関係ないんじゃないの?
まずコミュニケーションが蹴りとかあり得んし、いくら仕事できる人でもモラルの欠片もないと思う
間違って責めてしまったのなら謝るのが筋だ
後輩も自分の失敗で他の社員が怒られてるなら、一言謝るのが筋じゃないんかな~
しかも片付けしてねーし(笑)
仲良く仕事をするっていうのは理想だと思うし、その方が仕事を進める上でやりやすいのは間違いないけど、そこを軽んじて友達のようにっていうのは社会人としてあり得ないし、挨拶やお礼や謝罪をきちんと言えない人に教わることは何もないし教えることは何もない
このまま勘違いな先輩、相手にされない後輩でいても
僕には関係無いからいいけどね
友達じゃないんだから
つづく。
世の中雑音だらけで疲れない?
今もそう。仕事中(もちろん休憩時間だけどね)であるが誰も見てもいないのにTVがついている。
んで、僕がリモコンを持ちTVの電源を消す
事務室に静寂が戻る
少したつと上司が部屋に入ってくる
おもむろにTVをつける
そして見るのだが少しすると違うことしだす
んで、僕がリモコンで消す
上司『何で消すの?』
僕『えっ?見てないじゃないですか』
上司『見てないけど、なんか気になる情報流れてきたら見るし、シーーンってなってるより集中できるじゃん』
僕『………そうなんですね。僕はTVついてない方が集中できるし、皆の声が聞こえて仕事やり易いですけどね』
上司『そっか~。でもニュースとか有用な情報もあるし、TVつけとくねー』
うるさいんだよ💢いや、消せよ(笑)
本当に雑音である。
色んな音が混ざってる昼の街の音は気にならないが、夜に車も殆ど走らない街ではバイクの音にもイラッとする感覚に似てる。
皆無言でデスクワークしているのに、一人だけ喋っていたら気をとられるんじゃないかなー
この上司は、雑音あってサクサク仕事こなせるからある意味凄いと思うけど、僕はTVがついてるとやっぱり集中できないかなー
僕はゴシップとかあんまり興味ないし、ニュースもTwitter等ネットで見れるし、最近はトーク番組も全く見なくなった。というかTV自体殆ど見なくなった。
子供がある時『何でTVって早送りと巻き戻しできんし、途中再生できんの?』って言っててハッとしたことがきっかけだったんだけど
『TVを見る』んじゃなくて『TVを見させられてる』って感じるようになったんだよね
自分の意思で見てはいるけど、コントロールできてないみたいな感覚で
その時間にTVの前に座って見なきゃダメっていうのが僕が子供の時は当たり前って感じだから、自分の子供は何でそんなもの見るのって感じだった。
だから自分の子供からしたら見てもないのにTVつけてると雑音だし嫌がられる。まぁ僕はほぼTV見ないので、文句言われるのは妻なんですが
というか後半TVの話になっちゃってるけど、雑音雑音って言ってはいるが、集中力を散漫にさせるものは音に限らず雑音なんですよね(雑念か?)
だから僕個人の意見かもしれないけど、仕事でも家庭でも心地よい音ならリラックスできるし、もちろん静かであれば集中できるし、ゆっくりした音楽ならリラックスするし、激しい音楽ならテンションあがるんだよね
今の自分に合った環境じゃないとそれは僕の中では『雑音』になってしまう
テンションあげたいのにゆっくりした音楽流れてたらストレス貯まるのと一緒で、その環境に合った音を流さないと人は集中出来ないんだと思う。
"人の疲れは耳から"は本当だと思う
だからパーソナルな場所以外ではもう少し他人のことも考えて行動して欲しいし、自分も行動したいなとふと思ったのであった。
つづく。
世代
こんにちは。ゴールデンウィークも終わって普段の日常に戻ってしまいましたが、相変わらず何も変わらない生活を送ってましたゆーやです。
今日は世代のことについて書こうかなと。
先日職場の懇親会があったんだけど、うちの職場は俗に言う超縦社会で、飲み会はほぼ強制参加だ。
今の世の中セクハラだパワハラだ騒いでるけど、閉鎖的な職場なので黙認されている。終身雇用も崩壊しつつあるなか離職率もかなり低い人気の職業であるのがさらにこういう問題を解決できないことになっているんであろう。
まぁ、飲ミニケーションってやつですよ(死語かな笑)。
んで、慣例で若い職員が幹事をやるんだけど、今回はその若い職員が入社する前にバイトしていた店を貸しきってやることになった。
部所のトップの挨拶から始まり、乾杯の挨拶、歓談と進んでいくのだが、多分ここまでは色んな職場でもそんなに変わらないと思う。
うちには独特の風習があって、乾杯の後に若い職員はビールをついで回るのだが、自分もコップを持って回るのである。
勿論酒が強くないと開始10分で終了である(笑)
僕は酒が弱いし、同じ料金払って嫌な思いをするのは嫌なので若いときは瓶ビールがない店を選んでいた(いつも開始10分で退場だったからね…)。
まぁそれはおいといて、世代によってやっぱり性格がでるなぁと。一くくりにするのも良くないが、いつの時代も変わらないんかなぁと自戒を込めて見ている
が、本当に50代の人たちのマナーが悪い
いや、酔うと誰しも醜態を晒すこともありますよ
でもそれを差し置いても悪い
確かに『ゆとり世代』の職場の態度はあんまり良くはないと思う。世代関係無く頑張ってる人は頑張るし、ダメなやつはダメなのは皆わかってはいると思うけど、やっぱり世代によってある程度性格というかノリというものも違っている気はする。
正直、僕は『こうでなきゃダメ』『こうであるべき』みたいな話になるとき、分かりやすく説明出来ない人はその年代を生きてきた流行りや価値観に流されてきただけだと感じてしまって受け付けない。
結局、部下が以前お世話になっていた飲食店で、最初にイッキ飲み禁止と言われ、僕が止めたにも関わらず『二口で飲むからいいんだよ』とか訳のわからないこと言って飲ませ、店員に謝りもせず、金も皆と同じ金額しか払わず『次の店行くぞ』って言って出ていった。
行くわけねーだろ
店の大将に謝ることしかできんかった。
後輩にも謝った。
店の60代女将さんがポツリ
『本当にあの世代の人はどうもならんわ。いつも問題起こすのは50~70代の人達。自分が良ければそれでいいと思っとる。あなたたちの職場だけじゃないからああいう人達。頑張ってね』
申し訳ない。が、少しホッとした
世代でカテゴライズするのは良くないことだけど、そういう人が多いのも事実で、頑張ってる人達には関係ない話だし、世代の悪いとこにしか目がいかないけども、時代の流れをつくるのもその流れに乗るのもそこに住んでいる人間であるのだから、日々成長していかないと弾かれ者になってしまうと感じた飲み会であった。
それでも『だからゆとりは~』とか『今の若いもんは~』とか日々研鑽もせずに言い続けて生きていくのだろうか
自分もこういう人間になってしまうのだろうか、はたまたもうなっているのだろうか
つづく。
結婚したいとか子供がほしいとか
最近地元の祭礼絡みで酒ばっか飲んでいるゆーやです。
酒を飲むと楽しい気分になるんだけれど、本当に何もできなくなる。特に昼から飲むと楽しい思い出とともに1日無駄にします(笑)
さてさてここからが本題なんだけど『結婚したいとか子供がほしい』って言う人が回りにかなりいるんだけど、それってどうなの?と思ったので少し
結婚したいって言う人なんだけど
『すればいいじゃん』と。ただそんなけ。彼女いないから無理っていう人もいるけど
『彼女作ればいいじゃん』と。
わかりますよ!僕も若いときモテなかったし、彼女欲しいなと思っとりましたわ。ただ、1つわかったことは『本当に欲しい、したい』と思わないと基本願いは叶わないということですね。
自分でもよくこの事を自問自答するんだけど、これを本気で考えて出た答えに近いことは自分は叶ってる。
何が言いたいかと言うと、よく考えろということですね。
わかってはいるんだけど、具体的な行動に移せないんですよね。人間って。しかも努力しても叶わないこともあるしね(笑)
子供がほしいって言う人もなんだけど、二通りいると思う。結婚してる人と、していない人だと思うんだけど、結婚してる人はいいよね。素直に頑張ってって言えるし、なんか理由があってできないのかなとか、敢えて作らないようにしてきたのかなとか、あんまり僕は気にならないかな。
ただ、結婚していない人には
『まず、彼女いるなら結婚しろよ。彼女いないなら作れよ』と。
結果そういうアドバイスをせざるを得ないんだよなー。
大体、人を本気で愛したことない人が子供愛せるかいっっ!って話で、愛さなくてもそういう行為をすれば子供はできるって中学生でも知ってるよ。
他人に偉そうにアドバイスする立場でもないが、そんな事言ってるうちはモテないし、異性と付き合っても結婚したいなんて思えないと僕は思うのです。
まぁこれからの時代、結婚もしない人増えると思うし、シングルもどんどん増えてくると思うけど、家族は絶対大事とも言わないし、思わないし、自分に合ったライフスタイルを選べるので『結婚したい、子供欲しい』って思うならすぐにそれだけなら叶うよって事が言いたいだけです。
1つ言えることは、子供生むなら、育てるならばせめてその時代の子供と同じスタートラインに立たせてあげること、感情を持たせてあげることはして欲しいかな。
つづく。
人生の楽しみ
今日後輩と仕事の休憩中に喋っていたら『楽しいことがない』と言った。
『俺もだよー』
そう返した。
いやまて、楽しいことはないこたぁない。
ある。
なんかよく考えたら少し前に自分もよく考えていた事なので、その言葉が凄く心にひっかかった。
満たされてないんだよね。
まぁ『僕は』ってはなしなんだけども…
日常で楽しいことはあるけど、ずっと楽しいかと言われるとそうでもないし、何か目標があるとそれに向かって頑張っている時は多少辛いことでも、ゴールのこと考えて楽しんでる自分がいる。
楽しい楽しくないを考えだしたら、正直楽しくないに決まってるじゃん
だって楽しいときはそんな事考える間もなく笑顔になってるし
自分も一時期そんな事よく考えてたけど、結局目的もなく受動的に生きていると楽しくなくなると思ってる。
今自分はやりたいこと沢山あるし、実現させたいこともある。そのためには勉強も必要だし、たまの息抜きもしなきゃならん
僕が言うのもアレだから軽く聞き流したけど、普段から色々考えて試したり行動してたらそんな事考える間もなく時間は過ぎていってしまうし、アレコレ動いてる自分が好きになるし毎日楽しくなると思うんだけどな。
勿論辛いこともあるけど
子供の時は知らんことだらけで何をするにも興奮してたし、怖いことも沢山あったけど、大人になると経験で『こういう結末になる』とかある程度わかっちゃうから楽しくないんだろうなぁとは思う。しかも今ネットがあるから疑似体験なんていくらでもできるしね。
ただ、予定調和を崩したいなら一人で全然知らない土地や人、コミュニティに突撃するのが手っ取り早く楽しくなる秘訣だと思ってる。というか、ただ緊張したり興奮してるだけなのかもしれんけど(笑)
改めて『知らないことを知る、体験する』ということは凄く刺激を受けるし、いくつになっても大事な感覚で、普通の人なら段々減っていく感覚でもあると思う。
最近楽しくないなぁって言う癖がついたら行動、挑戦しようと後輩から学んだ一言であった。
まぁ、なんやかんや自分で言ってるうちは中々気づかないもんだから変なスパイラルに陥るんだけどね
とりあえず今日から2日間地元の祭礼行事
凄く楽しみである
つづく。
負の連鎖
また期間が空いてしまった。。。
って悔いてばかりだけども、前より遥かに前進しているし、生活は改善されているので良しとしよう(笑)
年度末って普通の勤め人だと忙しいんだよね…
はい。今回は、少し前からちょっとずつ読んでいた本について話してみたいと思う。
著:アリス・ミラーの『魂の殺人』である。
毒親とかいう言葉ができて世間に馴染んできた感じはあるが(馴染むのは問題だが)、それよりも遥か前に書かれている本である。育児や教育本とは違う内容で、簡単にいうと虐待は連鎖するということ。
なぜこの本を手に取ったかというと、自分の親はどういうことを思って躾をしてきたのだろう、そして自分が親となり、自分はどういうことを子供に伝えようかな?と、少し考えていたのでタイトルにひかれて購入した。
で、読んでみたのだが思った以上に読みにくい(笑)
表現の仕方が昔の言葉や文学小説みたいであったり、著書内で引用している文は文字が小さくなるため目が疲れた。
しかしそれをカバーするどころかひっくり返すくらい内容は衝撃的で『なるほどな、自分にもあてはまるなぁ』と思ってしまった。
自分が子供に対してイラついてしまうポイントや、おこなってしまう態度は、僕が親にされた躾や態度と明らかに同じであった。まぁ、父親と母親の性格が違うように、僕がおこなう躾も自分の親の躾と程度は違うが、それでも似ている。気がする
そのことに少し疑問を抱いたのがきっかけであるが
『子供の教育に対する忠告や提言といったものは、いずれも多かれ少なかれ、様々な種類の大人の側の欲求の現れであることは疑う余地がありません』
この一文に震え、薄々感じており、自分もトレースしていたことに反省と自責の念にかられる。
結構ページ数も多く普段から読書の習慣がない人にはツライ本ではあるが、子供がいる人には是非読んでもらいたい一冊である。
自分が気付けなかった、気付こうとしなかった過去や、子供に優しくしたいのにできない、良いと思っていることを施さず、本当は良くないと思っている方法を選んでしまう人は、特にこの本をオススメする。
まぁ、まわりまわって自分にツケがまわらないように、そして本当の意味で次世代のことを憂いているのならば
『自分が受けて嫌なことは、他人にしない』という簡単な話である。
日々自問自答し、物事について深く考える習慣がなければ解決できないということを改めて思いしった次第である
つづく。