生活習慣
あちゃー。blogを更新できず10日たってしまった。。。本当に反省します。
さてさてこの時期は出会いと別れの季節とまわりでは言っておりますが、それにかこつけて飲み会が多いんじゃ(笑)
僕は実家が飲み屋ということもありまわりの人間とは少し環境の違う生活を小さい頃から送っていた(と思う)のだが、今回はかるーい生い立ちと生活習慣について書いてみようと思う。
僕の家は親が経営する飲み屋の2階にあり、僕の親は朝はもちろん寝ていて、昼になるとおもむろに仕事の準備をして夜になると出勤というサイクルであった。勿論僕は朝起きて学校に行くのだが、ご飯は毎日白飯と味噌汁か最悪何もない。か、親は起きても来ない。仕方ないのだが、小さい頃は寂しい思いをよくしたものだった。
しかし、夜ご飯は毎日決まって18時頃に家族団欒で食べてコミュニケーションをとるのが日課だった。
まぁこれだけの情報だと、夜の商売の子供でありがちな生活だけど、ここからが少し違う。なぜなら2階が家だからである。
そう。酔った親が客に子供つれてこいって言われると連れていかれるのである(笑)
これは本当にストレスだった。寝ているのに起こされて酔っ払ったおっさんと喋らなければいけないのである。これ本当に地獄
そして毎日カラオケがめちゃくちゃうるさい。下手すると日が上る頃までシャウトしてる客もいる。しかも同じ歌を毎日何回も強制的に聞かされるので、そのお陰で流行っている歌が嫌いになった(笑)
他にも外でグダる客の声や、ケンカの音、ヤンキーの車やバイクのエンジン音。そういうもののせいで小さい頃から慢性的な睡眠不足であった。
結果どうなるかというと、まぁ遅刻は当たり前になる。
そりゃそうだわ。多分子供なのに六時間も寝てない。
んで、学校の授業に集中できない。それに加えて僕はお腹が弱かったのでいつもトイレに行っていたため『うんこマン』という屈辱的なあだ名がついていた(実際に2回漏らした)。
全て自分の家の環境だけとは言い切れないが間違いなく関係はある。そして、それは社会人になっても子供の頃の生活習慣は変わることもなく、むしろ酒も飲みだすし余計に悪い方向へ向かっていく。遅刻、仕事中にウトウトする、集中できない。もう最悪である。仕事なめ腐り人の完成だ。
結婚して生活習慣は改善されたが、実感したのは何かしら自分を変えようと思うとき、まず変えるのはマインドではなく『生活習慣』だということ。これは間違いないです。
なぜかというと、ちゃんとした生活が送れてないと考える力が低下しているから、そもそもマインドとか関係なく糞な考えしか浮かばないし、不規則な生活で継続力とは反対の位置にいるから。
因みに自分も最近飲み会が多いっていうだけでやりたいことできてないし、体調は良くないです(笑)
あの青学駅伝監督の原晋さんも、駅伝部員にまずやらせたことは『毎日早寝早起きし、ご飯をきちんと食べ、健康な生活を送ることを継続すること』だったそうな。
こんな当たり前のこと皆さんは『そんなん知ってるわ』って言うと思うけど、それがなかなか中々難しいんですよね。
生活習慣が見直すことができると計画を立てることができ、次のステップに行ける。
自堕落な生活から抜け出したとき、気持ちも高揚し、行動する力が生まれ、人生も次のステップへと繋がるんじゃないかと思ってる。それが他の人の当たり前でも少しずつ進めればいいんじゃないかな。
おっと、僕も堕落した生活に戻らないようにしないとね。せめてあんな大人になりたくないからね。
つづく。
子供と季節と大人と
季節の変わり目が好きだった。
今でも鳥の鳴き声、蛙やセミの鳴く声、金木犀の匂い、雲の形、風の温度で季節が変わったんだなぁって実感する。
親にも色々季節のことを聞いていた。そして親も季節のうつろいを楽しんでいたと思う。
春になれば桜を見に行き、虫を捕まえに行った先で色々な木や花の景観を楽しんで
夏になれば海に行き、夕暮れまで遊び花火を見た。魚や貝をとって食べたり
秋は紅葉を見て、冬に備えて模様替えしたり、家族で旅行が1番多かった
冬は家にいることが多かった(笑)。スキーに行ったり、親に内緒で夜中におでんを食べたり、雪が降れば大喜びだった
大人になった今、そういう季節の変わり目を嬉々とする感情が昔ほど無くなってきている。いや、感じても仕方ないと思ってるのかな。
『その1日って365日の内の1日だから特別ではない』
っていうのもわかる。凄くわかる。むしろ、この考えを持っていないと日々の過ぎる早さに恐れを感じ、毎日精神をすり減らすことになり些細なことで失敗するし、目標をもって淡々とこなすことが苦痛になる。
毎年繰り返される会社での季節の変わり目の話にはうんざりだし、行事にもうんざりだ。
だからこの季節に対する感情も 薄れてきているのだろうか
いや、多分時の流れを感じて『やっと』とか『もう』っていう話になるのが嫌なのかな
僕が子供の時は1人で季節を感じて嬉しくてワクワクしていたのを覚えているからなのか
いずれにせよ期待よりも不安の方が大きくなっているのは確かだ。
ただ、僕の子供は季節の変わり目を喜んでいる。まだ言葉では表現できないが確かに期待と希望をもって。
季節のうつろいを感じて『あの頃は良かった』って物思いにふけるじゃなく、不安よりも期待が大きくなるような毎日にしたいかな。
今は子供と一緒に、感じたことを言葉で表現し話すことを大切にしたい。
子供が大人になっても季節を感じ、期待と希望に溢れる大人になってくれたらいいな
つづく。
残酷で理不尽な世の中
前のblogから1週間たってしまった。んー最近休みが続いたので家事をメインに生活してたけど、僕が頑張ると妻が怠けて結局自分の時間が作れないゆーやです(笑)
いや、うちの妻が羽休め出来てればそれはそれで嬉しいんだけどね
タイトル通り、今回は『理不尽』について考えてみることにした
http://playboyakira.hatenablog.com/entry/20170630/1498826781
勝手に尊敬してるアキラ師さん(@playboyakira)https://twitter.com/playboyakira?s=09のblogです。僕とは比にならない壮絶で波乱万丈な人生を歩んでいる彼のblogを見て少しの間、脳が痺れて動けなかった。
本当に語るまでもなく理不尽だよね
今までこれを言ってくれる人はいなかったからなのか、頭で理解できてるけど再認識したくなかったのかはよくわからないけど、持ってるやつってのはやっぱり生きてりゃいるし、持ってないやつはステージどころかスタートラインにたてずに消える。多分普通のサラリーマンの家庭で育ってる人には全く視界に入ることなく。
人生皆chanceは平等に訪れる、それを逃さなかった奴が云々、、、
んなことねーよ。スタートラインにたてないんだよ。
本当に普通の感性が身に付かない、生活ができない、人付き合いができない。
そんな人たちを小さい頃から見てきた。子供の僕ですら嘘をついてるってわかる人もいた。人の話にちんぷんかんぷんな返答をしたり、20歳にもなって漢字がほとんど読めない人もいた。
たしかに、親の価値観を振り切って自分の経験や価値観で生きていくのは大事だと思う。だって自分の人生だから。ただ、そのスタートラインにたてるのは、まずは親がしっかりしないとダメだ。親が本当にダメだと、乳幼児期に人生は終わる。運が良くて生き残れても回りの皆とのスタートは大分遅れるし、まずまっとうな生活を送れるかも怪しくなる。
そう。親は選べないのである。こう言うと少し語弊はあるが、僕は所謂普通の暮らしが出来ているので親に感謝しているが、やっぱり普通の家の同級生が羨ましかった。
話がそれた
うん。だから、やりゃなんとかなるっていうのはスタートラインにたどり着いた人だけであって、そこに行けたのは、まず
『お前の力だけではないんだよ』
ってのが言いたいってだけ
スタートラインに行けたならそこからは自分の努力次第だとは思うけどね。って自分も耳と心が痛いが。。。
もう一人、勝手に尊敬しているぽっきいさん(@pockysuburbia)https://twitter.com/pockysuburbia?s=09
は『職業に貴賤はない』って言ってた。貴賤は無いと思うが、皆やっぱり何かで優越感を持ちたいんだと思うし、自分がいじめられたから差別はなくならないかな。言われると嬉しいんだけどね
そう思うと世の中って理不尽だらけだなぁと常々思う。
ただ、理屈だけが通る世界でも面白くないっていう矛盾
自分の子供には早くスタートラインにたどり着けるようにはしたいかな。
まぁ人生どうなるかわからんが
つづく。
仕事の休みが多いけど、プライベートな時間はあまりないということ
タイトル通り
休みが多い(笑)
入社した時から思っていたが、本当に多い。
どれくらいかというと年の半分は休みである。
マジ多いじゃん!って知り合いに言われるが、その分大変なんですよと返している次第である(マジ休み多くて最高っていうと僻まれるから)。まぁ実際時給換算するとおいしい。
そういう理由もあってか、同じ職場の人同士で遊んだり出掛けたりというのが多い。本当に多い。そしてグループができて人付き合いが悪いと疎遠になって…みたいな感じで、仕事にも結構影響が出る。ここ最近は世の中の流れに従い、以前より付き合いも緩くはなってきているが、それでも仕事外の付き合いが重要である。
僕は結婚してからも結構な頻度で付き合いに参加していたのだが、自分にあまりメリットがないこと、というか 成長が無いこと(全く無いことはないんだけど)に気付いて30歳からメリットがないことは行かない事に決めた。
するとどうだろう。やはりというべきか、グループからはノリが悪くなったと言われ、あまり誘われなくなった。んで、自分が誘うものに参加してくれなくなってしまった。
寂しい限りである。
僕が他の行事に参加してたから義理があって来てくれてたのかな?と思えるほど誘っても来ない(笑)
そりゃそうだわな。
無言の圧力というか、この空気感が嫌でプライベートの誘いを断るようにしたんだから、相手は僕が輪を乱す奴だと思うよね
それ以前に皆がメリットになること、勉強になること、楽しめることがなければ来るわけないって反省した
普通の会社員は土日休みで、下手したら休日出勤とかあるのに、限られた休日で会社の人と付き合いしなきゃいけないと考えるとゾッとするけど、それに比べればまだましかな?
でも、他人からの誘いをきちんと選別しだしてから、プライベートの時間が充実してるっていうことは間違いないですね。子供との時間、家族との時間、自分のやりたいことの時間が確保できるようになった。
どこかで線引きしないとどんどん自分の時間が削られていって、人にコントロールされる人生になってしまうってこと→お前が言うな
中々人の誘いが断れない人は、親が入院したから1か月何も参加できない!とか言い訳して断って、自分の自由な時間を味わった方がいいかも
プライベートの時間が無かった自分が嘘のように穏やかに毎日過ごせるようになる!はず
ただ、お誘いも思わぬ出会いがあったりするんだけどね。
つづく。
満足感というもの
blogを書き始めて2週間たとうとしている。
ネタは結構あるんだが、うまくまとめられないので書く気が起きないという事がわかった(笑)
瞬間的には思い付くんだけどね
やっぱり文字に起こそうとすると普段慣れていないせいか、億劫になってしまうという。。
継続の難しさを改めて知る
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今回は『満足感』について書きたいと思う。
自分は日々の生活で満足感が得られていない気がしている。
それはなぜか?
自分の思った通りに物事が行かないからなのか。
はたまた楽しい出来事や予定がないからなのか。
否
自分の本気でやりたいことが見つかっていないから。
これに尽きると思う(あくまで僕のね)。
若いときは『これやってみたいなー』っていうぼやっとしたアウトラインはあるんだけれども、それが具体的になんなのか、そしてそれを実現させるために何が必要でどう計画していくことが重要なのか。
考えるのは大変だし億劫なんだよね。
でもマラソンのように走り始めはネガティブなイメージが強いけど、走り始めちゃえば意外と気持ちいいし、走り終わったあとは爽快感がある。
しかし、今の自分にはない。
仕事では適度にいい立ち位置だし、プライベートは家族の仲も良好で特に問題もない。
しかし何故か常に不安感やイライラする事がある。
うん。本気に熱く没頭する事がなくなった。というより『それ』を見つけることができなくなった
これって、勤め人全般に言えることだと思う。
確かに、プライベートの時間をほとんど趣味につぎ込んで全力で頑張ってる人もいる。でも本当に一握りだと思うし、家庭のある人だと金もそんなかけれないと思う。
若いときは後先考えず行動したことが、今では自分の経験則で大体の結果予想がついてしまい、やらなくなるのだろう。
やってもいないのに
そう、やっていないのにである!
やはり満足感を得るには行動しかないと思う。
どんなことであれ、行動しなくては始まってもいないので、最初の一歩を踏み出してみようと思う心が大事だと思う。
たった2週間だけど、自分で自分に約束して行動しているが、まだ本気でやりたいものは見つかっていない。
まぁそんな簡単に見つかるものだったらこんなに悩んでいるわきゃないので全然いいが、このblogがその足掛かりになればいいと思っている。
そして気だるそうに携帯をいじる。
熱中できるものが見つかり、同じ志を持つ人と語り合える日を夢見て
つづく。
自己紹介でも
仕事と家事と勉強で疲労困憊のゆーやです。
この歳で初めて花粉症になり、早くもblogが滞ってしまった。。反省
まだ自己紹介をきちんとしていなかったのでつらつらーっと書いてみようと思う。
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田舎で生まれ、田舎で育ち、高校を卒業と同時に地元で就職。20そこそこで結婚し、3人の子宝に恵まれる。まぁ平凡な人生な訳です
人それぞれヒストリーはあるが僕は本当に平凡に、というか他の人に比べ余計なことを考えずに生きてきた。今考えると自我が無かったのではないかと思うくらいだ。
親は両親とも中卒で、お互い再婚同士である。そして母親は夜の仕事、父親は僕が小学校3年までは夜の仕事で、その後は違う夜の店や喫茶店、色々やっていた(多過ぎてよくわからん)
で、親がそういう仕事なもんですから僕が変な扱いを受けないように凄く熱心に育ててくれた。そしてそれを愛だと思っていた。後で過保護(毒親かな)だって気づくんだけど
中学校の時は6時までに家に帰らないといけなかった
部活があっても、友達と遊びに行っていても帰らなければいけなかった。なので泊まりにも行ったことは無いし、夜出歩くことも一切無かった。
勿論友達はほぼできなかった。というより、みんなと共通の思い出がないため段々と疎遠になる感じであった。いじめもされたがあまり気にならなかった。家が居場所だったから
そして高校
親の店の調子が悪く金がないとのことで自分でバイトして高校に行く。
親に中退考えるように言われたが、流石に高校卒じゃないとまともな就職できんと思いそれは拒否した。
なんとか卒業し就職
とりあえず自分の夢もないし、親の店が大変だから助けなきゃいかんという感じでただ働く。
何も考えずに働く。
そして親に金を渡す
給料のほとんど渡してたかなー
弟もいるのだが、二人とも高卒で就職し、2馬力分の金を渡していたが常に『金がない』と言っていた。
そう、パチンコや借金の返済に使ってた。
これは流石に堪えたw
あほかと
僕らの人生なんなのと
よく考えたら夢は小さい頃あったんだけど、先のこと考えられないように洗脳されてたわ。
常に『家族は一番大事』とか『家族は困ったら命を懸けて助け合う』とかやたら言ってたよ。確かに夜の仕事だから景気いい時もあったけど、中学の時はバブルの影響でどん底だったはず。
タイミングがいいのか悪いのか、今の妻と付き合って3年だったので、結婚して家を出た。因みに弟はその後5年ほど搾取されていたらしい。
そんなこんなで今は平々凡々と暮らしている。
回りの人はほとんどこの事は知らない。
知ってる人に大変だったねーとか言われるけど、自分では特別だとは思ってないし、いい経験(よくはねーか)になったと思ってる。
SNSの影響で自分自身に向き合い、やりたいこともできたし、これからもささやかながら行動していく所存である。
てか、blogって結構書くのに時間かかるんだね
つづく。
毎日コツコツ
毎日コツコツというタイトルなのにblog書くのは3日ぶり。。。
ゆーやです。
中学校の時、若あゆ日記とか言う夏休みの宿題があった気がするが、最初だけ書いて後はほったらかしだったっていう事を思い出した。
まぁいいや
毎日コツコツって意外と出来ないもんだなぁーとヒシヒシと感じる。
blogというものをやったことがないから書くネタが無いし(あるんだろうけど)、あったとしてもどうやって書こうかなとフリーズしたりする。
『30過ぎのおじさんにもなって何いってんだよ屑が』
と言われても仕方ないのだが、幼い頃から
『継続する』
ということが身に付いていないと、大人になっても一朝一夕にはできないものなのである。
仕事でも私生活でもそうだが、普段から継続ができない人は『他人に怒られない最低限のライン』をクリアできればそれでいいのである。というか僕なんだけどね
そんな僕が何でblogをやってみようと思ったかと言うと
『何かじぶんを変えるきっかけができれば』
と思ったから。
いや、わかりますよ。
blogやるだけで変わるわけねーじゃんとか、そんなん三日坊主でしょとか、時間の無駄とかさ。
30過ぎてTwitter始めて、一般の人がblog書いてるとか色々なメディアで情報を発信してることに影響を受けてやり始めたって感じだけど
勢いって大事でしょ
多分本能と経験ではわかってる。
自分の思い通りには行かない。でも、今やらないと後悔するよって
自分以外誰も見ないかもしれないけど、踏み出さなくて後悔してきたじゃんって
だから、ありきたりな言葉でもいいし他人から見たら『ポエムキモいわw』
とか言われてもいいんだけど、何か勇気をもって
『始める』
『継続する』
『本当の自分と真摯に向き合う』
ことをしたい。
とりあえずは定期的に書いて継続力を身につけていきたいと思う次第である。
つづく。